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エロゲ幼女論(ver.1.1) 

「エロゲ幼女論」

前文

エロゲを彩る素晴らしき幼女たち。その穢れ無き存在は、いつ、いかなる時も我々の心を潤してくれる。
「エロゲには幼女が不可欠である」
何気なく呟いたその一言が、あろうことか同好の士によって否定された。
「別に幼女がいなくても良いですよ」
天地がひっくり返るほどの衝撃が私を襲った。彼は生粋のエロゲーマーだ。我が家に来ては、壁に飾られたルゥリィ(さくらシュトラッセ)ベッドシーツを嬉しそうに眺めているのである。そんな彼が!
その時の憤りを如何に表せばよいのだろうか。言葉が見つからないとはまさにこのことだった。
「素晴らしいエロゲには素晴らしい幼女。君の好きなあれもこれも、幼女がいるからこそ光り輝くのだ!」
怒り心頭、破廉恥極まりなかった。そこまで言っても、彼はどこ吹く風といった様子だった。しかも、それだけでは飽き足らず、こんなことまで言ってのけやがったのだ。
「そこまでおっしゃるのなら、幼女に対する熱い思いの丈を語ってください」
かくして、エロゲ幼女論を執筆する運びと相成ったのである。

1章   幼女、その魅力
1.5章  幼女、妹、累乗則
2章   容姿、精神年齢、どちらが大事?
3章   愛という免罪符
終章   楽園へと続く道



1章  幼女、その魅力
 幼女の魅力。それを語る前に、エロゲの楽しみがどこにあるのかを今一度確認しておきたい。エロゲはヒロインと結ばれる過程を楽しむものである。これは、関係性の変化と言い換えられる。主人公とヒロインが触れ合い、影響を与え合って、成長していくことが面白いのである。そして、そこには乗り越えるべき試練なり障害なりが存在する。
 すでに、私の言わんとしていることがお分かりになった方もいることとは思う。そういう方は確認の意味で読み進めていただけらば幸いだ。続けさせていただく。幼女とは、そのキャラクター性に障害を内包している。つまり、常識という枷にはめられている。常識は共感を呼ぶ。常識を覆すことは面白い。
 幼い容姿、未熟な精神は少女性の象徴。恋愛感情の否定を表している。そんな彼女たちが主人公との触れ合いを通じ、肉体的、精神的に変化していくのだ。恋愛感情を受け入れてくれるのだ。これを魅力的に感じないわけがない。処女にこだわるわけでは無いが、処女性というものにはこだわりたい。幼さとは純粋さである。
 思わず興奮してしまった。すまない。幼女の魅力が少しは伝わっただろうか。この章では、幼女全般について語らせていただいた。次章はその精神性について、もう少し掘り下げていく。

1.5章  幼女、妹、累乗則
 妹というのは、年下であるから当然幼女である。妹についてのみ語るのはフェアではないと承知している。ゆえに、間章という形を取らせていただいた。読み飛ばしていただいても一向に構わない。
 1章において、常識がある種の縛りとして作用することを述べた。全く同じことが妹についても言えるだろう。障害は高ければ高いほど、乗り越えた際に得られる達成感、快感も大きくなる。
 幼女にしても、妹にしても、同種の障害を抱えている。それらと恋愛関係になるということは、倫理的にまずい。ゆえに、背徳的であり、罪悪感がつきまとう。この罪悪感というやつは、単純な足し算ではない。そのように感じるのである。感覚的なことで申し訳ないが、薄い板を順番に二枚叩き割るより、接着し分厚くなった板を叩き割る方がよほど難しいと言えば良いのだろうか。
 よって、罪悪感は要素の累乗に比例する。


2章  容姿、精神年齢、どちらが大事?
 幼女を幼女たらしめているのは、その容姿なのだろうか。この章では幼女の精神について深く考察していく。
 ロリキャラの中には、幼い容姿と高い精神年齢を兼ね備えたキャラクターが存在する。外見と内面のアンバランスさが魅力なのだが、彼女たちは幼女と言えるのだろうか。成長しない体と成熟した精神。後者だけに注目すれば、一見幼女では無いように思える。だが、そうではないのだ。彼女たちも紛うことなき幼女なのだ。
 成長しない体は不変性を表している。高い精神年齢も、また不変性を表してはいないだろうか。彼女たちの多くは、願望が充足されていない。そのため、ある地点で精神の成長が止まっているという特徴を持っている。体と心が乖離しているように見せかけて、実はそこにずれは生じていないのだ。彼女たちの純粋さ、ひたむきさは少女のそれだ。したがって、幼女と言って何ら差し支えないのである。
 反対に、幼い精神年齢に成熟した肉体というキャラクターも存在する。こちらは、外見と内面が完全にずれている。彼女たちをどう考えれば良いのか。至って単純。優しく逃げ道を用意してあるのだ。女性として扱って問題ない。その幼さに魅かれていながら、後ろ暗い気持ちにはならない。これこそがエロゲが構造的に抱えている幼女性なのだ。精神に着目するなら、彼女たちもまた幼女である。だが、そう感じるプレイヤーは少ないはずだ。何故か。
 それはあからさまに”幼女”然としたキャラクターが存在するからだ。幼い容姿に幼い精神をしたキャラクター。それを隠れ蓑にしていると言っても良い。つまり緩衝材。彼女たちがいなければエロゲは成立しないと言えるだろう。
 この章では、幼女の精神について扱った。次章は性的な話を掘り下げていく。


3章  愛という免罪符
 幼女と性交する。倫理的に許されることではない。愛し合っていれば、問題ない?まやかしだ。愛という言葉に惑わされるべきではない。あなたの愛と彼女たちの愛は別物なのだから。
 愛しいと思う気持ちは素敵なものだ。性欲が醜いというつもりもない。彼女たちを好きだ。素晴らしい。しかし、待って欲しい。彼女たちは大人になりかけている段階で、その精神はまだまだ未熟。それを犯して良いのだろうか。
 相思相愛とは言うけれど、それゆえに未熟な精神は受け入れざるを得ない。性的関係を強要している。その黒い欲望を自覚すべきだ。
 愛という言葉で罪悪感を打ち消してはいないか。犯したいから犯す。愛なんて関係ない。
 自戒の意味を込めて書いた。愛なんて無い。そう突きつけられると、つらく、悲しく、きつい。つい目を逸らしてしまいたくなる。だが、その視点は持ち続けたいと思う。


終章  楽園へと続く道
 ここまで読み進めていただけたならば「エロゲには幼女が不可欠である。」この言葉に賛同していただけることだろう。関係性の変化を楽しむエロゲにおいて、幼女ほど適したヒロインはいない。それだけではない。彼女たちがいるからこそ他のヒロインも存在を許されているという側面すら存在するのだ。幼女と真剣に向き合うことは痛々しいかもしれない。けれど、幼女の微笑みは、血となり肉となり、あなたを幸せへと導くのだ。
 本稿を書くにあたり、適当な助言をしていただいたサークルのみなさまに感謝の意を表して締めの言葉とさせていただく。
2010/07/03 13:34|コラムTB:0CM:0
 
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